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2010年6月27日(日)
茅野輪
夏越の大祓いの神事「茅の輪くぐり」の準備が白山神社に整いました。

『拾遺集』に「みなつきのなごしのはらへをする人は千年の命のぶといふなり」という和歌があります。

今年は1週間、懸けるそうです。茅の緑が鮮やかで、清清しい茅の輪くぐりをさせて頂きました。
神前で、小さな「茅の輪」を受け、早速、玄関に懸けました。

いつも通りに「水無月」を作って、この夏を無事に乗り越えたいと願います。
2010年6月23日(水)
ナツツバキ
夏至も過ぎ、梅雨本番。庭の蒼苔を真っ白なナツツバキの落花が彩りを添えています。
ナツツバキは、朝咲いて夕刻にはそのままの姿で、落花する一日花です。
シャラノキ(娑羅樹)の別名でも知られ、花弁を縁取る細かなフリルが愛らしいい清楚な花です。
ほの暗い茶席で出会うと、いっそう風情があります。

まだまだたくさんの丸い蕾が枝先にあります。明日、明後日と暫く楽しみです。

2010年6月15日(火)
ウツボグサ(靫草)
2月に訪ねた、引佐町の白橿の棚田で田植えが始まったと聞き、見学に行きました。
田毎に整然と並んだ苗は、背後の山から豊富に湧き出る清らかな水で満たされ、育っていました。植え残された田に苗を植え付けに1人でやって来た男性が黙々と作業をしています。棚田の保全が盛んにいわれますが、実は、地道な作業を担う人の情熱が、支えているのです。
棚田の土手に、ウツボグサが咲いていました。ウツボ(靫)とは、武士が弓矢を入れて持ち歩いた道具(靫)に似ているところから名づけられたといいます。梅雨前の初夏の野原を彩るユニークな形の花です。枯れた花穂は、生薬として利尿、消炎効果があるとか。
2010年6月13日(日)
龍山・寺尾の「ぶか凧」
雨が心配されましたが、とにかく行ってみよう!
寺尾の「ぶか凧」揚げの会場は、段々茶畑です。
11時過ぎ、会場に近付くと、「ブンーンブンーン」と凧のウナリが上空からきこえてきました。
「七転八起」の勇ましい凧も、秋葉ダムから吹き上げる風任せ、アットおもう間に高い杉の木に着座。
はるか下の茶畑に、糸を操る人がいます。実に素晴らしい山峡の凧揚げ風景です。かくもシンプルで、見事な大人たちの遊びはめったに見られません。風が止めば、お母さんたちの手作り料理で宴会です。山の畑で採れたジャガイモの美味しさも格別です。今年も御馳走になりました。
「ぶか凧保存会」の皆様に感謝。
2010年6月10日(木)
ジュンサイの花
庭の水瓶で育てているジュンサイの花が咲きはじめました。
万葉集には「ぬなは(沼縄)」として詠まれています。

 
 わが情 ゆたにたゆたに 浮ぬなは 辺にも奥にも よりかつましじ

嘗ては、日本全国・北海道から南西諸島まで分布していましたが、近年の水質悪化で、自生地が激減し、静岡県でも「準絶滅危惧種」に記載されています。
我が家では、夏の水温上昇と冬の凍結防止のために、僅かながら常時、水交換をして管理しています。絶やさないように育てるためには、注意深く観察し、水温管理が欠かせません。
寒天質に覆われた若芽は食用(食する習慣のあるのは日本と中国だけだとか、)として瓶詰などで販売されています。

小さく目立たない花ですが、開花は2日間。1日目は雌しべが熟して柱頭が開き、夕方には花弁は閉じます。2日目は雄しべが熟して花糸を伸ばし、花粉を放出し、夕方 には閉じます。この花も今日限り。
2010年6月6日(日)
ツクバネ
ツクバネという名前の植物があります。お正月の羽根付きの追羽根に似ているので、この名がついたと聞きますが、もしかしたら、その逆で、その昔は、この植物の実が、追羽根其の物だったのかもしれません。

ツクバネ属の植物は日本には他にないそうです。
雌雄異株で、雌花に羽根のように見える長さ3・4cmほどの苞が4枚ついていて、珍しい形です。
秋、四枚の羽根を付けた茶褐色の実が細い枝先に吊り下がっている風情は、一段と素敵です。
お正月の茶花に珍重されますが、大きな羽が付いている実は、ポロリと簡単に落ちてしまいます。そこで、落ちた実は接着剤でつけ直して利用します。
今年、引佐北部の山林で見つけたツクバネは、今はまだ、葉と同じ色をしていて目立ちませんでしたが、既に大きな4枚の羽根がしっかりと付いていました。
もう少し実が大きくなった頃、逆さにつるして、日陰でドライフラワーに仕立てれば、初茶会の床に荘れそうです。
2010年6月4日(金)
平城宮跡・第一次大極殿

平城遷都1300年にあたる2010年、平城宮跡に第一次大極殿正殿が往事の姿で復元された。
とにかく一見に如かずと見学に出かけた。

朱雀門を抜けると、1Km四方以上もある草原の広がりの中に、朱塗りの柱と大きな甍に、金色の首尾を戴いた大極殿が、青空に向かって立つ姿が現れる。(この光景を、時々電車が遮るのも、時代と歴史感覚を呼び覚ましてくれる。)

遺跡内部は50年以上に及ぶ発掘調査によってもたらされた成果を「平城遺跡博物館基本構想」に基づいて、野外博物館として、整備がすすめられていると聞く。
広大な平城宮跡では、今も発掘調査が行われている。
夏草の中を歩いて巡る足の下にも、1300年前の人々の生きた証があるのだと思うと、草原のヨシキリヤケリの囀る声が、平城宮の住人たちのささやきにさえ聞こえる。

2010年5月25日(火)
バラとハナムグリ
磐田市にある静岡県立磐田農業高等学校には、生徒が丹精込めて育てているバラ園があります。150種、1500株のバラが、今を盛りと咲き、清らかな香りが、校内に漂って、見学に訪れた人をバラ園へと誘ってくれます。
学校創立100周年を記念して完成させたというこのバラ園は、市民にも公開されていて、花のシーズンには、誰でも見学することが出来ます。大勢の人が毎日、見学に訪れている様子です。
もちろん虫たちもバラの香りに誘われ、やってきていました。柔らかなピンクの花びらに包まれてたハナムグリ(シロテンハナムグリ?)は、バラの密と花粉に酔いしれているようでした。

2010年5月24日(月)
奄美大島の泥染
奄美大島に旅した知人から、本場奄美大島紬 泥染めスカーフが、しなやかに、軽やかに、風のように送られてきました。
奄美大島の歴史と独自の文化が生んだ高級織物は、手にすることなどとてもないと思っていました。細い糸に染め込まれた、不思議な色の織り成す絹の織物は、奄美の大地の力と豊かな自然、そして島の歴史と伝統文化を育む人間のおもいが、温かく伝わってきます。

テーチ木(シャリンバイ)染め約20回に泥染め1回を1工程とし、それを4回(合計80回前後)繰り返すと泥大島独特の黒が絹糸に現れのだそうです。
泥染めは職人の優しく、根気強い真心で染められた貴重な伝統的芸術作品です。
2010年5月16日(日)
ベルトン水車
天竜川・秋葉ダムを見下ろす段々茶園の茶工場で、ベルトン水車が活躍しています。
総落差100m以上もある龍山不動の滝(新浜松の自然百選)から流れ落ちる水の力を利用して発電し、高度差100以上もある、段々茶園で摘んだ茶葉を、下の茶工場に下ろす索道を動かします。
ゴトンゴトントとワイヤーが廻って、山の上から大きな籠に入った摘んだばかりの茶葉が下りてきました。この水車、かっては、加工場の機械も動かしていたそうです。
茶園主の藤原さんが、鉄のおもい蓋を開けて、見せて下さいました。鉄の色が力強く輝いて、山の茶園の歴史を物語るようでした。もちろん今年一番の新茶も分けていただきました。
2010年5月13日(木)
熊野御行
熊野速玉大社の前庭に熊野御行の碑があります。
延喜7年(992年)宇多上皇から始まる、上皇、門院、法親王たちの熊野詣の記録がしたためられています。
浄土信仰が盛んになっていった平安時代の後期以後、後白河上皇は34度、後鳥羽上皇は28度も熊野の詣でたといわれています。
源平争乱、承久の乱へと時代が流れる中で、皇族、貴族から武士にまで、熊野信仰が広まっていきました。そして、徐々に熊野信仰は庶民にまで広がり狭い参詣道が人であふれる様子が「蟻の熊野詣」と称されるまでになっていきます。
なん人をも受け入れる「熊野の聖地」は、今もなお、深い信仰の地であり、平和を願う象徴であることは変わりありません。「熊野古道を世界遺産に!」と活動を始めた、世界遺産マスター・小野田真弓さんは熊野は「世界文化遺産」そのものだと熱く語っていました。
2010年5月4日(火)
浦川のホソバシャクナゲ群落
「浦川のホソバシャクナゲ群落」は「龍山のホソバシャクナゲ群落」と共に静岡県の天然記念物に指定されています。龍山の指定区域内については、毎木調査を行って、生育状況の現状確認をしましたが、浦川の群落は未だ見たことがありません。地元の人に尋ねると、元吉沢小学校脇の林道を山に入って、道のない尾根筋を登って所にあったといいます。
 しかし、30年くらい前に見て以来、行ったことがないとの返事。「今は蝮が出るから止めなさい。」と言われてしまいました。花が咲くこの時期に山に入るのは断念することになりました。ホソバシャクナゲは北向きの斜面でよく育つそうです。南向きや太陽が照りつけるところでよく咲くが、花の色が白くなり、次第に枯れていくそうです。生育環境が限定されていることがよくわかります。地球上の此処にしかない植物です。生物の多様性を守ることの大切さと難しさを実感します。
 吉沢地区の家々の裏山や前庭では、ホソバシャクナゲの老木が花を咲かせ始めていました。前庭に咲くホソバシャクナゲを眺めながら、「80歳を超えたおばさんが、シャクナゲの大きさも太さも、子供のころと何も変わらないと言っているから、100年や200年前からあそこにあるのだと思うよ。むかしは、みんなもっと大事にしていたが、今は関心がないね。これから先、何時まで咲いているだろうか。」と、、、。見守るほかに手立てはないのでしょうか。
2010年5月2日(日)
国指定重要文化財の友田家住宅
友田家は森町市街から、吉川の清流を遡って、北へ凡そ9kmの亀久保集落にあります。南面した茶畑の新芽が目に染みるほど輝き、背後の山には、杉の古木が聳えています。
大きな茅葺の屋根にずっしりと守られ、18世紀始めに建てられた姿のまま、佇んでいる友田家は、 平家の落人としてこの地に移って以来古い家系を守っています。
住宅は、300年前の元禄年間の姿を残す建築として1973年、国の重要文化財に指定されました。
構造は「片喰違い型」 と呼ばれるもので、関西の町屋建築に多い
「前座敷三間取り型」の発達したものだそうです。
平家の落人としてこの地に移り住んだ友田家が代々、住居として利用してきましたが、見学者が多くなり、生活に影響が出はじめたので、敷地内に別棟を建て、生活するようになってと、47代目となる友田さんご夫婦が話して下さいました。ご夫妻は、すぐ隣に暮らしており、文化財の管理を行っ ています。そのおかげで、この文化財は、貸別荘スタイルでの宿泊もできます。
おたずねしたこの日は、庭の手入れをなさっていました。前庭の梨の古木が友田家の歴史を物語っているようでした。
 
      友田家全景                      重厚な茅葺屋根

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